玉
(翡翠)文化が日本に渡来した当初は、おそらく大陸で加工された玉を使っていたのだろうが、
(ミャンマー産)やがて玉産地が発見されると、職人が招来され、産地を中心に工房が作られ、次第に日本独自のまが玉文化となって各地に広まっていったのだろう。
(翡翠リング)日本のまが玉は朝鮮半島にも伝わっている。
(翡翠ブレスレット)越では、世界的に珍しい硬玉が採れ、高度な加工技術が発達した。
(翡翠)出雲は砂鉄や銅、錫など豊富な資源を持ち、古くから金属文化が開いたが、
(翡翠)碧玉の産地でもあり、おもに加工していたのは碧玉のようだ。
(ミャンマー産)しかし、出雲大社に残っているまが玉は最上質のひすい(硬玉)である。
(翡翠リング)越に産したひすいを、越の技術で加工したと想像され、相互の文化交流を窺わせる。実際、出雲の大国主命は、高志の女王沼河比売(ぬなかわ姫)のもとに押しかけ亭主にきたという神話が古事記にある。
(翡翠ブレスレット)越の玉は、当時非常に貴重視、あるいは神聖視されていたようだ
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